原隼人佑昌胤屋敷 山梨県甲府市屋形2丁目 20080615
”信虎に仕えた譜代家老原加賀守昌俊の子で、信玄に登用された。武田軍の陣立てなどを立案する陣場奉行を命じされたといわれ、また信玄の側近、奉行としても活躍した。信玄の晩年には、山県昌景とともに、武田家の最高職である両職を担ったとされる。父昌俊は90騎を率いたが、昌胤は加増されて120騎を指揮していた。天正3(1575)年の長篠の戦いで戦死した。”説明板から。
山梨県の城