秋山氏屋敷 山梨県南アルプス市秋山 2008年6月14日
”秋山光朝は甲斐源氏加賀美遠光の嫡子として保元三年(一一五八)頃加賀美の館に生まれた。始め加賀美太郎と言われたが大井の庄を支配するに及んで山寄りの要害地秋山に館を構え秋山太郎と称した。当地はその館跡です光朝は平時京都に在って平氏に仕え、平清盛の子、知盛の側に属し、又清盛の長男重盛の娘を妻とした。このため治承四年(一一八〇)十月の源氏旗揚げの際遅参し頼朝の不信をかった。又木曽義仲と通じていたため、これを理由に文治元年鎌倉勢に攻められ背後の雨鳴山に於いて自害したと伝えられている。”説明板から。すももの郷公園と甲西郷結トンネルの間に位置する熊野神社、境内左右に新旧の説明板、階段を登った左手に標柱があります。