天童山城

山形県天童市大字北目

”舞鶴山に、最初に城が築かれたのは、南北朝時代の頃、南朝方の柱石、北畠親房の末えい北畠天童丸が、吉野朝興隆のため、村山盆地を一望するこの地に、居を構えたのが初まりといわれている。その後、北朝方の勢力が強まり、天授元年に、北朝方の成生荘の荘官、里見頼直が、成生からこの地に城を移し、さらに堅固な山城にした。領主は代々、天童氏を名乗り、山形最上氏と肩を並べる奥州の名門として、その威容を誇ったが、十代頼久の時代に、義兄の山形城主最上義光に攻められ、壮絶な戦いの末、天正十二年十月十日、ついに落城し、頼久は、伊達家の家臣国分氏にのがれた。 ここに、初代頼直から数え、二百九年間の長きにわたる天童山城時代は終わり、以後この地に再び城が築かれることはなかった。その後、天童は最上家の所領するところとなる。”説明板から。舞鶴山ともいう、この地方は人間将棋で有名

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