思川決闘の場 おもいがわ

山形県上山市新北浦

”1672年江戸の浄瑠璃坂で、日本三大仇討の一つと称されべき浄瑠璃坂の仇討があった。その前哨戦と云うべき決闘がこの思川の地で行われたのである。栃木県宇都宮藩において藩主奥平美作守忠昌の葬儀の席で藩の重臣奥平隼人と同じく奥平内蔵助との間に刃傷沙汰が起こり、内蔵助は藩主の一方的な裁きで切腹を仰せつかり、そのこ源八郎は母と共に相手奥平隼人もまた父大学らとともどもいずれも処払いとなった。この結果新藩主奥平大膳亮昌能は同年幕命で出羽の山形へ移封された。隼人の弟主馬介は藩主昌能の家老としてそれに従った。内蔵助の遺子源八郎が(一行)がこの地で山形の主馬介(一行)に仇討の名乗りをあげ激しい戦いを行い、主馬介らを討ち取った源八郎の一行が仇討に成功している。思川は蛍の名所であることからこの仇討は思川蛍合戦とも云われる。”詳細は説明板に。

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