松山城
山形県酒田市新屋敷
”第3代藩主酒井石見守忠休公幕閣に列し若年寄の住職を歴任す、1779年築城を許可され以後松山藩二万五千石の表高となる、明治元年維新後宗藩鶴岡と共に官軍に抗した理由により厳命を受け遂に全城郭の破却に至る実に創藩以来二百年余築城以来八十余年に亘る松山藩の命運であった。”説明板から。大手門だけが残る
90 685 764
山形県の城