長谷堂城

山形県山形市長谷堂

”1514年伊達植宗軍に一時占拠されたという文献が残されており、それ以前の築城と思われる。1600年出羽の関ヶ原といわれた攻防戦があり、全国きっての智将、会津の上杉景勝の家老直江山城守兼続が、山形の最上義光を攻めた合戦の折、最上軍の将、志村伊豆守光安が長谷堂城に拠って城を守りきった。戦後、光安は酒田亀ヶ崎城主となり、その後成沢城から坂紀伊守光秀が移封され、長谷堂城の整備に尽くした。1616年光秀の没後光重が後を継いだが1622年最上家改易と同時に廃城になった。”説明板から。

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