放生津城

富山県射水市中新湊

”放生津城(ほうじょうづ)は現在の富山新港の西側にあった平城である、1333年鎌倉幕府滅亡に際し越中守護の名越時有が一族とともにこの城で最期を遂げたと「太平記」に記してある。室町時代には越中守護畠山氏の重臣で射水郡、婦負郡の守護代である神保氏の居城となった。1520年神保慶宗が長尾為景の侵攻を受けて自害、このため神保氏は拠点を富山城に移した。その後前田氏の武将が入り江戸時代の初めごろまでに廃城となった。”説明板から。

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