日中城
富山県中新川郡立山町日中
”弓庄城主、土肥美作守政繁は初め上杉謙信に従属していたが、1578年謙信が急死し、織田信長が越中に進出すると、織田方に従属した。信長が本能寺で討たれると、再び上杉方と通じるようになった。成政は天正10〜11年にかけ、越中支配のために上杉方がいる越後の西海岸まで侵攻した。天正11年、成政は土肥美作守政繁を攻めるために四つの砦を築城し、日中城跡はその付城の1つであったと推定されている。土肥氏は弓庄城で籠城を続けたが、豊臣秀吉が成政の越中支配を認めると、政繁は、弓庄城を明け渡して越後の糸魚川城へと退去する。”説明板から。
今はただの竹やぶ状態。