米子城
鳥取県米子市久米町
”1615年に、江戸幕府が発した一国一城令において例外として存続が許された全国の支城の中で、米子城のような天守をそなえたものは稀有な存在でした。1601年で、毛利一族の吉川広家が、1591年から米子城の築城に取り掛かったと言われています。関が原の戦い(1600年)の結果、吉川広家は岩国へ転封となり、中村一忠が駿河国から転入し城を完成させました。中村一忠急死後、中村家は断絶となり、1610年、加藤貞泰が美濃国から転入しましたが、7年足らずで伊予国大洲に転封となり、1617年に因幡・伯耆の両国の領主となった池田光政の一族である池田由之が城預りとなりました。その後、1632年、池田光政が備前の領主、池田光仲が因幡・伯耆両国の領主へ国替えとなり、池田光仲の家老の荒尾成利が城預りとなり幕末まで荒尾氏が11代にわたり米子城を管理しました。”説明板から。
米子城から中海を望む 右手奥に港博会場(当時)”駐車場あり、約15分くらいで本丸。