鷲城わしじょう

栃木県小山市外城
おやましとじょう

”1380年から1382年にかけて小山氏10代の義政は、3次にわたって関東公方足利氏満の軍勢と戦いました。「小山義政の乱」と言います。この乱の原因は、勢力を拡大した小山義政を抑圧しようとする氏満の策謀があったとされ、その指令を受けた関東各地の武士たちが、小山に攻め寄せました。最初の蜂起で館をせめられた義政は、二度目の蜂起となる康暦3年には鷲城に立て籠もって戦います。しかし義政は結局敗れ、その翌年粕尾で自殺しました。鷲城は思川や谷地・低湿地に囲まれた要害で、当時としては広大な城郭でした。中城の空掘・土塁が明瞭に残存し、鷲城の名の由来となった鷲神社が鎮座しています。”説明板より。鷲神社参道入口。

鷲城

鷲城

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