高瀬山城
島根県出雲市斐川町学頭
”高瀬城の城主米原氏は、尼子氏の重臣で尼子十旗の第六旗に位置付けられている有力武将でした。1570年からの毛利輝元の包囲攻撃によく耐えましたが、戦死するものも多くまた兵糧も尽きてしまい、翌年遂に落城しました、時の城主綱寛は真山城に逃れ再び戦ったといえあれます。城山は標高319.4mの険しい独立丘、今は遺構は跡形もなく、わずかな平地土塁の残りに、兵どもの夢を偲ぶだけです。”説明板から。 歩いて約30分で本丸跡、斐伊川に架かる森坂大橋の北方向。
島根県の城