中津城 大分県中津市 20070812

中津市の中津城です。

石垣は由緒があるらしい。周囲を一周し天守閣に入ったが、とにかく今日は暑かった。駐車場はたくさんあります。

右側の石垣は「折あらば天下人に」という野望を秘めた黒田孝高時代の本丸跡である。左側の石垣は、細川忠興時代のもので、忠興自慢の石垣である。1587年孝高が秀吉に豊前の6郡を与えられこの中津の地を選び翌年築城をはじめたとある、大規模な築城も度重なる戦のために工事もはかどらないまま関ヶ原の功で筑前52万石への加増転封し中津を去った。細川忠興は最初中津城を居城とし弟の興元を小倉城においた、慶長7年忠興は居城を小倉城に変更、一国一城令で小倉城以下に中津城も残されるように老中に働きかけた結果中津城の残置が決まった。その後忠興の隠居城としての性格のため本丸と二の丸の間の堀を埋め、天守台を周囲と同じ高さに下げるように命じている。”説明板から

Mapion

近くの城址

145 667 379 「マップコード」および「MAPCODE」は潟fンソーの登録商標です。

大分県の城