一本クヌギ古戦場 大分県中津市耶馬溪町大字深耶馬

やばけいまちしんやば 20070812

中津市の一本クヌギ古戦場です。家籠という集落の付近ではないかと思えるが不明。

まずは錦雲峡バス停付近行く。

県道28号線の錦雲峡バス停から斜め北に入り、しばらく付近をドライブする、この道にも奇岩はいっぱいあって写真は双塔峰岩と名づけてありました。

神社写真はかなり登った所の神社でこの付近を探しましたが不明。

結局源平古戦場については何もわからず。次に行く予定の後藤又兵衛の墓によることにした。
”〜略〜多くの実績をあげた又兵衛、黒田24勇士の猛将として一万6千石で大隈城主となったが黒田親子とも間隙を生じて浪人となり、細川忠興をはじめ諸国の大名からまぬかれたがこれを受けず、大阪夏の陣に秀頼の招きに応じ入城、大和方面で戦功があったが、道明寺河原で討ち死にしたと伝えられている、しかし一説には大阪方の敗戦の後は放浪の旅で西下し縁故のあるこのちへおちのび隠棲の中で豊臣家再興を期していたが、かぜの頼りに豊臣家不運を知り、遂に自刃したと伝える、しばらく時がすぎてこの自刃した武士が後藤又兵衛であったことを村人は知り墓を建てたが、後に伊福茂助が昔の墓の荒廃を見かねて建て替えたのが宝暦13年であった。”説明板から。

Mapion

近くの城址

一本クヌギ古戦場付近ではないかと思われる付近。

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大分県の城

後藤又兵衛の墓所