歌舞多城 長崎県東彼杵郡川棚町岩屋郷 20080426
川棚町の歌舞多城です。風南城の北付近から東に入り虚空蔵山の「木場のぼり口」を目指した。そこに説明板か城までの道順が書いてあるかなと思ったからだ。ここまで途中では「日向の棚田」をみながら走行してきた。この道の終わりは広域林道に合流して大きな舗装道となり、そこに虚空蔵山登山道の駐車場があった。ここまでの集落の中の道は比較的狭いほうだが、交通量がなく楽な道のりであった。現地には歌舞多城の事はなにも記載されておらず、あきらめて元の道を川棚町へ帰る事にした、途中「あの山が城跡だな。」と見ていると小さな橋の袂に標柱があるのに気がついた。停車しのぞいてみると、「歌舞多城址登り口」と記してある。木場公民館付近を歩いて駐車スペースの確認をしたのみで今回はパスした。「雑木林で一部石積みが残る、林道から一時間程度の徒歩で山城調査等の熟練者でないと接近は困難。城跡には手作りの城郭を表す看板がある。麓の道路に案内がある。歌舞多山にあり追手は西の方で少し平地になっているが、北の方山の8合目のところには横道があり、それから頂上までの100mは手の裏を立てたような険しさである。」川棚町城郭跡一覧から。「キリスト教の布教は、積極的に進められているが、純忠の対外的な立場は、ほとんど孤立無援の状態で、危機の連続であった。とくに武雄の後藤氏の執拗な侵攻が最も警戒を要した。そのための北方防衛の拠点として、川棚に歌舞多城、風南城が、大村の本城と併行して構築されたものと考えられる。」川棚町史。
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