天ヶ城 宮崎県宮崎市高岡町内山 20030102 20060815

とてつもなく大きな山城、国道10号線から案内に従う、今回は時間が遅くて資料館には入れず、さくら広場の遊具施設があるところに北の城跡の標柱があったので記念撮影。お盆休み期間中は地元の祭りを避けて訪問をしなくては渋滞に遭遇したりして大変だ。”1600年台17代島津家当主島津義弘は、関ヶ原の合戦に敗れ、日向細島をえて帰国途中、八代(国富町)に宿泊しました。家康の勝利が全国に知れ渡ると「島津氏を滅ぼして伊東氏の旧領を取り戻すのは、この時期以外にはない」と考え即座に兵を率いて宮崎を平定北進し、佐土原城下に迫り、その一部は、義弘の宿泊している八代に向かい進撃しました。島津領内の近郊の領主たちは取るものもとりあえず、八代に兵を進め、義弘は兵数10名を引き連れて八代を脱出かろうじて鹿児島にたどり着きました。この事件で国境警備の必要性を痛感し伊東氏に備えるために、城を天ヶ城と命名し、島津氏と関係が深かった地域から武士多数を強制移住させました、比志島紀伊守国貞を初代地頭に任命し、高岡を前線の要としました。1615年に廃城となり武士たちは麓に下り住みました。”説明板から。

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