去川の関 宮崎県宮崎市高岡町内山 20030102

”今から約430年前の永禄年間、伊勢国の国守・佐々木義秀の家臣であつた伊勢二見ケ浦の城主・二見岩見守久信は、織田信長に攻められ薩摩の蒲生郡に逃れ移りました。1582年頃、島津氏の勢いは大変強く、第16代・島津義久は近隣諸国をことごとく討ち従えていました。義久は、国境の防備を固めるため関所をここ去川(左流川)に設け、御定番に二見岩見守久信を命じました。以来、二見家は11代にいたるまでこの関所の御定番を勤めましたが、廃藩置県のため関所も御定番も廃せられてしまいました。去川関所は、高岡郷、穆佐(むかさ)郷、綾郷、倉岡郷、そして支藩佐土原へ通ずる薩摩街道の大事な地点にあり、大変厳しい取調べが行なわれた所と言われています。”説明板から。薩摩藩への入国は極めてきびしいかったようだ。

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