鶴丸城

宮城県栗原市栗駒岩ケ崎裏山

”鶴丸城ははじめ富沢氏の居館であった、富沢氏の祖右馬之助は葛西氏の出で南北朝時代の岩切城合戦に吉良方に味方して戦功あり、三迫の地にとみ沢の郷をもらいこの地に築城した。5代直景の時に秀吉の小田原征伐に不参の故を以って主家葛西氏と共に滅んだ。政宗の五男宗綱、六男宗信の居館となり茂庭周防の補佐により5万石の城下を築こうとしたがいずれも夭折して成らず。東西に延びる広陵の自然地形を利用した壮大な規模を有する典型的な山城”説明板から。

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