津久毛橋城

宮城県栗原市金成津久毛
くりはらしかんなりつくも

”ー略ー 源頼朝は海、陸、山の三道から二十万の大軍をもって平泉の藤原泰衡を攻め進んだという、そのころ三迫川沿岸一帯は江浦藻(つくも)が生い茂る低湿地帯であった、この藻を刈り敷きつめて全軍を渡したという時の歌である、このさき源義経の身代わりになって自殺し義経をエゾ地に落としてやったという伝説をうんだ「判官びいき義経北行説」の立役者杉自太郎行信の供養碑もこの丘の西端に建っている。南北朝の1341年北畠顕信が南朝回天の最後の拠点を津久毛橋城に築き足利の将、石塔義房は釜糠城に陣をはり大合戦を展じている。”説明板から

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