千石城
宮城県大崎市松山千石本丸
”千石城跡は、遠藤盛遠が構築したとされる、城跡の初見は1588年の中新田合戦の時であり、城主は遠藤高康であった。遠藤氏は1401年に遠藤盛継が関東公方足利満兼から志田、玉造、加美三郡の奉公人に任じられて松山に居城したのが最初で、以後二百年間居城した。1591年中田町に移封され、その後石川昭光が1598年まで、吉田重直が1603年まで居館とした。1603年からは茂庭良元が藩主となるが千石城が手狭であることを理由に1631年上野館を築いた。1657年、時の城主定元も上野館に居を移し、千石城三の丸には留守居として家臣一名を置くだけとなった。”説明板から。
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