宮崎城

宮城県加美郡加美町宮崎麓一番

”この城は、典型的な中世の山城です。大崎氏時代には三大名城のひとつといわれ、自然の要害の地であった、1590年秀吉の奥州仕置きで大崎氏の領地は没収され秀吉の家臣木村氏に与えられた。木村氏の政策に対する不満が一揆の蜂起につながり、1591年旧城主笠原民部を大将に笠原党三千人余りがたてこもり、伊達政宗の軍勢一万人余りと戦った。笠原民部は一子隆元と数人の家来に守られ山形に逃れた。伊達軍は智将といわれた浜田伊豆を始め、20名程の武将が戦死したほか、足軽百人余りが討死した。落城のとき捕虜となった二百人余りは城の北側の流れの沢で斬首されたと伝えられている。”説明板から。詳細は不明だが、道路が城跡を分断。

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