采女城 三重県四日市市釆女町 うねめちょう

”藤原氏の子孫後藤基秀は1260年宇野辺の地頭となり一族郎党を引き連れて采女の山に築城す。以来3百有余年連綿とした続いたが15代の孫後藤采女正の時織田信長の侵略にあい1568年城とともに戦場の露と消えた。”説明板から。

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