鳥羽城 三重県鳥羽市鳥羽2丁目

”志摩国を平定した九鬼嘉隆が、1586年、当時前島(観音山)と呼ばれ、三方を海に囲まれた要害を城地と定め、大阪城築城用に三河国幡豆から海上輸送した石材の一部をもって石垣を築き、約8年を要して1594年8月に完成したという。関ヶ原合戦のおり、嘉隆は石田三成の西軍、子の守隆は徳川家康の東軍となり、守隆に鳥羽城攻撃の命が下ったが、嘉隆は鳥羽城を灰燼に帰することを避け、岩倉の田城に移り、西軍の敗れたことを知ると切腹した。鳥羽城は1631年守隆が没するまで九鬼水軍の本拠であった。守隆の死後相続問題が起き、分断され五男久隆と三男隆李は鳥羽を去った。その後は内藤、土井、松平、坂倉、松平、稲垣氏と城主が変わり、明治四年に廃城となった。”説明板から。こけむす本丸址、海賊の根城”

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