高岡城 三重県鈴鹿市高岡町

城主は神戸友盛の家老知勇兼備の名将山路弾正であった、永禄10年信長の大軍が攻めてきたがこれを防いだ、翌年また攻めてきたが屈しなかった、そこで信長は三男信孝の養子を条件に和睦を策した。1571年信長は友盛に隠居を命じた、主君友盛の不遇に義憤を覚えた弾正は諜叛を企てたために不意を襲われ自害に追い込まれた。”その後、信孝の血縁の小島兵部が高岡城主となった。”説明板から。"神戸城の出城鈴鹿川が堀代わり”高岡橋から西へ曲がり線路を越えて上に登って行くと駐車場、恐ろしく狭くなって一度はバックで引き返した。

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