長島城 三重県桑名市長島町西外面 ながしまちょうにしども

”寛元三年藤原道家が長島城をこの地に始めて造り、次いで文明年間伊勢国安濃郡長野の伊藤重晴が再建しました。元亀、天正の頃一向衆がこの城において、織田信長と交戦しました。元禄十五年増山正弥が長島城に移り、明治四年、廃藩に至るまで八代百七十五年間に及びました。長島といえば増山氏二万石の城下として知られています。この長島絵図は、寛政年間以後のものと言い伝えられていますが、詳細は明らかではありません。この山門は、第十一世賢道の代の明治九年(1876)に、蓮生寺が長島城大手門の払下げを受け同寺の山門として移築したものである。旧大手門よりも縮小されてはいるが、瓦に増山氏の家紋がそのまま残されており、長島城最後の建造物として、なおその面影を留めている。”説明板から。中部小学校が城跡

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