百地丹波城 三重県伊賀市喰代 いがしほうじろ 20040426

”百地氏は伊賀流の忍者、百地丹波守が有名ですが、史実としてはほとんどわかっていません。しかし、天文十三年(1544)の史料に「喰代もも地殿」と見えることから、戦国時代には北伊賀地域の有力な土豪として知られていたようです。百地氏城跡に代表される土塁や堀で防御施設を設けた中世城館跡は、市内に250ヶ所余りあります。その中でも喰代・蓮池地区は、中世城館跡が数多く分布する地域で、周辺には安場氏館跡や奥氏館跡・上山氏館跡など十四ヶ所の中世城館跡が確認されています。この城跡は丘陵の尾根を利用してつくられたもので、最も山寄りの郭(くるわ)から現在の青雲寺まで含めると、長さ250m、幅は最も広い所で60mで、市内でも有数の規模となります。城跡の構造は、尾根を削平してつくった郭を連ねたように配置したもので、四つの郭A〜D)が段々に形成されています。”説明板から。

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