松ヶ島城 三重県松阪市松ヶ島町 20030928

”松ヶ島はかつては保留久美(細波・細首とも書く)といい、参宮古道に沿った、海陸交通の要衝であった。天正八年(1580)、織田信雄(信長の二男)は南伊勢統治の居城を田丸城(度合郡玉城町)からこの地に移し、松ヶ島城と称し、五層の天守がそびえていたという。その後、信雄の家臣津川義冬、滝川雄利を経て、同じ十二年、豊臣秀吉の武将蒲生氏郷が十二万石の大名として入城した。ところが、氏郷は四五百森に着目して築城し、新城下松坂に移り、本城下の町人や社等はすべて強制移住させられて、松ヶ島は瞬時にしてもとの一漁村に変容した。古図や検地帳には天守跡・堀之内・丸之内・城の内・南之内・日の丸といった城郭名や、殿町・本町・西町・紙屋町・ほうく町・鍛冶町という町名が見え、往時の繁栄をしのばせる。 ここに残る指定地は俗に天守山と呼ばれ、付近から金箔をおした古瓦片などが出土しており、本丸天守の跡と考えられる。”説明板から。

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