宗泉寺 熊本県山鹿市藤井

宗泉寺ゆかりの鹿児島県のお城を探しています。少しでも心当たりの方はご連絡お願いします。”このホームページもしくは直接宗泉寺まで”

国道3号線宮原(みやばる)交差点から198田底鹿本線に入り北上し菊池川を渡ると日置(へき)交差点がある、ここを右折、しばらくすると宗泉寺がある。ここは城跡ではなく、この宗泉寺に関係のあるお城を探しておられるとの事でこのページを作成する。

下記に宗泉寺からいただいお寺由来等を載せました。少ないお寺情報ですが多くのお城情報をよろしくお願いします。”このお殿様の出身地となるお城の名前を探してます”

ざっと云われを云いますと
※昭和19年11月1日、当祈祷所 宗泉寺中興第一世である父をはじめ、
当時 大牟田の眞言宗醍醐派 諏訪教會 小島妙光師、並びに 当時 考古学者
原口氏(初代 熊本県山鹿市 鹿央町装飾美術館々長)御協力により、この
地所は(約六・七百年程前)まで天台宗で観音様を本尊とする十八番札所で
あり、宗泉寺(ソウセンジ)という霊場の跡地で、その境内に神仏を安置した
本堂の中心部に当ると判明。
※ 宗泉寺の開祖は鹿児島薩摩藩の御殿様で、幼名を宗麻呂=?(ソウマロ)と
名のられ、それから(サドノカミ)を名のられた後、御出家されて、
この地で名高い僧侶「 法名=宗完(ソウカン) 」となられ多くの民衆を
救われたそうです。→しかし これは言い伝えでして 現在は 五輪塔・お堂屋根瓦
等しか観れないので 証拠は発掘しないと無いですが。
当然 紋は丸に十の薩摩藩の紋です。
このお殿様は 騎馬兵をひきいて この地に陣を構えられたと 聞いてます。
たぶん落ち武者状態ではなかったかと想います。

※これだけの情報では お城はどこか わからないでしょうが


山鹿市藤井 [宗泉寺(そうせんじ)]の由来
※ 昭和十九年十一月一日、当祈祷所(きとうしょ)宗泉寺中興(ちゅうこう)第一世永田大巾大和上をはじめ、眞(しん)言宗(ごんしゅう)醍醐派(だいごは)諏訪教會(すわきょうかい)小島妙光師、並びに当時考古学者原口氏(初代鹿央町装飾(そうしょく)美術館々長)御協力により、この地所は鎌倉末期頃(約七百年程前)まで天台宗で観音様を本尊とする十八番札所であり、宗泉寺(そうせんじ)という実在した霊場(れいじょう)の跡地で、その境内(けいだい)に神仏を安置した本堂の中心部に当ると判明。そもそも宗泉寺の開祖は鹿児島薩摩藩(さつまはん)の御殿様(おとのさま)で、幼名を宗麻呂(そうまろ)と名のられ、それから(サドノカミ)を名のられた後、
御出家(ごしゅっけ)されて、この地で名高い僧侶(なだかいそうりょ)(法名(ほうみょう)=宗完(そうかん))となられ多くの民衆を救われたそうであります。又今尚その当時の大瓦(おおかわら)や五輪塔(ごりんのとう)・供物器等が出土しております。
※それから大昔は、この地(小高(こだか)い嶽(たけ))を中心にして、周囲にはゴォーゴォーッと音をたてる大川が流れており、そしてこの嶽より修験者(しゅげんじゃ)(山伏(やまぶし))等が法螺貝(ほらがい)を吹く合図で四方八方の島々(現在の南島・寺島・舟島・田島・小島・水島・高島等)から聴きつけ供物(くもつ)を持ち寄り護摩祈祷(ごまきとう)等を行った嶽だったそうであります。
※ 現在の宗泉寺は、ほとんどの宗派開祖(しゅうはかいそ)の師匠である弘法(こうぼう)大師(だいし)空海(くうかい)(高野山(こうやさん)眞言宗(しんごんしゅう))の御祈祷寺(ごきとうでら)として復興(ふっこう)されました。
高野山眞言宗 宗完山(そうかんさん)              宗泉寺住職中興第二世   永田大貴
                                     日本易学協会師範鑑定士 大巳(たいし) 敬白
                                                               合掌
                        http://www.sousenji.jp/   宗泉寺HPです
                        soukansan@vega.ocn.ne.jp  宗泉寺メールアドレスです。

我が屋敷のお殿様の御名は※(ソウマロ→サドノカミ→出家され宗完)です。一人の家来の名は「ソウザエモン=惣左右衛門」=元の塚はうちの屋敷の一角(南西=裏鬼門あたり)にあったらしいですもう一人の家来の名は「ジンザブロウ・カネスケ」

 

※写真※小さい屋根1.5m四方ぐらい)がうちから北東=表鬼門方へ約一q程先の、Mさんという方のおられた屋敷跡地の一角で*名前等は一切書いてありませんでしたがそこにおられた方の子孫になる方に連絡がとれたので少しですけどわかりました。*ちなみにこの写真で二つ自然石が並んでますが向かって左がジンザブロウ・カネスケ大明神と現在もおまつりしてると云われました。右は関係無いですが八大龍王だそうです★どちらが一の家来か二の家来かは分かりませんが(今で云うところの助さんかくさんかな?)どちらも凄腕の武将だったそうでありますが最後は弓や槍で亡くなられたようです。

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近くの城址

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