鐙摺山城あぶずり

神奈川県三浦郡葉山町堀内

”伊豆蛭ヶ小島に配流されていた頼朝が三浦微行の折鐙摺山城に登る時、馬の鐙が地に摺れたのでこの名がついたとされる。石橋山に旗上げした頼朝に呼応した三浦一族の三浦党はこの鐙摺の小浜の入江から援軍として出陣したとしている、この合戦で頼朝は敗走するが、三浦党も酒匂川畔まで行き、敗戦を聞き引き返す途中小坪あたりで畠山重忠軍と遭遇した時お互いの誤解から合戦になるがこのとき鐙摺山城にいた三浦党の総師三浦義澄はこの様子を望見し援軍を送ったが、和解が成立し再びこの鐙摺山城に引き返した鐙摺山を旗立山と呼ぶのはこのためである。伊豆伊東の豪族伊東祐親は頼朝配流中に頼朝の暗殺を図った為鐙摺山上で自刃した。”説明から。

鐙摺山城

Mapion

近くの城址

8 098 651