波多野城

神奈川県秦野市寺山

”波多野氏の先祖は藤原秀郷の子孫で佐伯経範といい、母方の姓を称し、源氏の家臣であった、平安時代末に起こった奥州の安倍氏の乱では頼朝、義家親子に従い黄海(岩手県)の戦いで討死した。彼の子孫の義通保元、平治の両乱では頼朝に従い大活躍をした。頼朝が挙兵した1180年の城主は義常であったが参戦を拒んで松田の館で自害した、その後叔父の義景が継ぎ、さらに1213年の和田義盛の乱で義景の子盛通が和田方につき、滅んだため義常の弟忠綱に其の実権が移ったと考えられる。”説明板から。

波多野城

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