知覧城 鹿児島県南九州市知覧町永里 ちらんちょうながさと 20030813

南九州市の知覧城です。

南北朝時代になると郡司平忠世は南朝方に、地頭島津久直は北朝に属して各地域を転戦しましたがともに没落してしまい、1353年に足利尊氏が島津氏5代島津貞久の弟佐多氏の初代の忠光の軍功を賞して郡司知覧忠世の遺領を与えた事により、これ以降、知覧は佐多氏の領地となりました。室町時代初め、知覧は、そのころ南薩に勢力を張っていた伊集院氏の一族今給黎久俊が押領して、島津氏8代目久豊に反抗していましたが、応永27年1420年ついに降伏しました。山田聖栄自記によると、島津久豊は知覧城に入ると、佐多氏4代佐多親久に与えましたその後、1591年佐多氏は家臣が臣秀吉の命令に背いたことから、知覧を没収され、川辺宮村に領地を移されました。10年後にはまた知覧に復帰しましたが、その間に知覧城は火災にあって全て焼失してしまいました。1615年には徳川家康は一国一城で廃城”説明石碑等から。

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