安宅の関 石川県小松市安宅町 20070707

安宅関信号から海岸線に入る。安宅住吉神社横を過ぎると海岸の駐車場に着く、ここは海水浴場となっている、山頂付近の安宅の関碑を写真に納め、住吉神社に裏手から入った。”源平壇の浦の合戦で平家を西海に沈めその殲滅に大功のあった源義経は生来の猜疑心からこれを退けようとする時の征夷大将軍兄頼朝に追われ、奥州平泉へ落ちのびようとした。頼朝はこれを捕らえようと各地に新関を設けたが、当、安宅の関には富樫左衛門泰家を関守に任じ厳重警戒に当たらせていたところ、山伏姿に身を変えた義経弁慶以下主徒12人がとおりかかった、一行は疑われ、東大寺復興勧進のため諸国を廻る役僧と称し、勧進帳(寄付帳)の空読みを行った弁慶の機知、さらに強力(荷役人夫)姿に身を変えた義経が咎められるや疑念をはらすため金剛杖をもって主義経を打ち据えるに至り、富樫は弁慶の忠誠心に心をうたれ主徒の通行を許すに至る。”弁慶、富樫、説明板から

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