徳宿城

茨城県鉾田市徳宿

”徳宿城(とくしゅく)は平安末期頃、徳宿親幹によって築かれた。親幹の父(鹿島成幹)は桓武天皇の流を汲む平国香から七代目で、常陸大掾氏一族の意向により鹿島郡を治め、その北部に徳宿氏を創立した。徳宿氏二代目の秀幹の長男俊幹は、安房と鉾田を含めた地域を譲渡され安房氏の祖となった。また次男朝秀は、烟田村他三カ村を譲渡され烟田氏の祖となった。1486年徳宿氏九代目道幹の時、水戸城を本拠とする江戸氏から攻撃を受けた。江戸氏総勢二千余名に対し徳宿氏は総勢三百余名、鹿行下総の大掾氏一族の援軍千五百人が到着する前に城攻めを受けた道幹は、もはやこれまでと覚悟を決め「今日の合戦は討死と決したり。よって城外へ打って出る。心ある者は我に続け」と馬にまたがり敵陣に踊り込み「名のある勇士や来たれや」と呼びかけ江戸氏の兵と相刺して討死した。両軍多数の死傷者を出す合戦を制したのは江戸氏であった。”説明板から。鹿島臨海鉄道徳宿駅の東側の信号から(県道114号線の)一つ目南の路地を東に入ったところ。

徳宿城

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