小幡城おばたじょう

茨城県東茨城郡茨城町大字小幡

”小幡城は、大掾詮幹の三男義幹が1420年頃に築いたという説と、小田知重の三男光重が鎌倉時代頃に築いたという二説がある。戦国時代の1481年頃以後は、水戸城の江戸氏の影響下に入る。現在の城域が整備されたのは、1570年代と思われ、府中城の大掾氏を攻める拠点として重要な役割をはたしている。 1585年の書状には小幡城将として大塚弥三郎と小幡孫次郎の名が見える。この頃の城の守りを強化するため、涸沼周辺の土豪が当番制で動員されている。1590年豊臣秀吉の権力を背景とした太田城の佐竹義宣により、水戸城の江戸氏は城をうばわれ、府中城の大掾氏は滅亡、この時小幡城も落城した。その後、小幡は佐竹氏の秋田移封の1602年まで佐竹義宣の直轄地となり、家臣の和田昭為が管理している。小幡城は天正18年の落城、あるいは佐竹氏の移封の時に、数百年にわたる歴史的役割を終えたと考えられる。”説明板から。国道6号線小幡信号から南の道に斜めに入る、次を斜め戻るの東方向に曲がる、右手に見えてくる。城址入口付近に車は置く。

小幡城

小幡城

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