妻鹿城 兵庫県姫路市飾磨区妻鹿 しかまくめが 20030719

”功山城は別称を妻鹿城ともいわれます。初代城主は薩摩氏長の子で妻鹿孫三郎長宗です、長宗は元弘の戦いで赤松円心に属して功を立て其の功によって妻鹿地方を領有するようになり、ここ功山に城を築いたといまれます。その後姫路城内で生まれた黒田官兵衛の父職隆は1573年に姫路城から功山城に移り居城としました、また1580年三木城主別所長治を滅ぼした秀吉は三木城を居城としました、これに対し官兵衛は三木城が戦略的に不備であることを進言し、自らの居城である姫路城を秀吉に譲り功山城に移りました。官兵衛は後に九州福岡に移り黒田藩56万石の大大名の基礎を築きました。1585年職高が没した後は廃城となったようです。”説明板から。山陽電鉄本線妻鹿駅から市川に沿って県道517号線を北側に行くと右手に甲山がある

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