河合城 兵庫県小野市新部町 しんべちょう 20060728
小野市の河合城です。別名「掘殿城」とも呼ばれ、室町時代の播磨守護職であった赤松氏の東播磨の拠点として築城されています。嘉吉元年(1441)の「嘉吉の乱」の時には、赤松満祐が将軍足利義教の首をもって入城したことでも知られています。東西約四百メートル、南北約三百メートルの城域を有する東播磨屈指の大城郭でしたが、ほ場整備事業等により、その景観は失われています。主郭部は「源氏屋敷」とよばれ、土塁と掘が巡っていました。さらに掘の外側には、東の郭と西の郭があり、三つの郭から構成された平城であったようです。”説明碑から、左下隅は河合城平面図、加古川線河合西駅付近。
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