兵庫城 兵庫県神戸市兵庫区切戸町5 きれとちょう 20030718

神戸市兵庫区の兵庫城です。天正八年(1580)池田信輝と輝政父子が花隈城を攻め落とした功によって兵庫の土地を与えられてから、兵庫は、それまでの室町幕府の権力を離れ、東大寺や興福寺と兵庫の関との関係も脱して、新たに織田信長の手に入り、これを機会に池田氏は花隈城の資材も加えて兵庫城を築いた。その拠点は現在の切戸町、中之島中央市場にかけて東西、南北ともだいたい一四○メートルの規模で、周囲には幅三・六メートルの堀があった。古来兵庫は、源平の合戦、湊川合戦以来たびたび大きな合戦があって、そのつどひどい戦災を受けた。兵庫に古いものが少ないのもその為であろう。しかし信長・秀吉による全国統一がなってからはこの地方ではもう合戦がなく、兵庫の町は平和に栄えていった。兵庫城跡は江戸時代に入って元和三年(1617)尼崎藩領となって、藩の陣屋となり、明和六年(1769)幕府領となってからは大坂町奉行所に所属して、与力や同心の勤番所として明治になるまで続いた。新幕府は慶応四年(1868、同年9月8日明治改元)一月二十二日にこの兵庫城跡の一部に兵庫鎮台を設けたが、二月二日に兵庫裁判所と名が変わり、五月二十三日にまた「兵庫県」と改められた。つまりここが最初の兵庫県庁である。その後県庁は同年九月十八日、今の神戸地方裁判所の場所に新築移転、さらに明治六年五月現在地に移転した。明治七年(1874)新川運河の開墾が行われ、兵庫城跡の中心地はほとんど川底になってしまった。”説明板から。新川運河に架かる大輪田橋西端の北方角。

兵庫城

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