四本松城しおのまつじょう

福島県二本松市長折
ながおり

”伴次郎助兼が当地方の鎮将となり、治暦元年(1065)に住吉山(現・東和町)に築城する。伴氏は文治5年(1189)の文治の役で亡んだ。吉良貞家が正平元年(1346)、奥州探題に任じられ当城に居城した。宇都宮氏広が応永3年(1396)、城を現在の宮森城(上館)の地に移し、「四本松城」と称しが、斯波詮持・石橋棟義に亡ぼされ、石橋棟義が城を当地古館に移した。8代石橋義久が没後、小浜城に居城していた大内定綱は領主石橋氏を追い宮森城に移り住んで塩松(四本松)地方を統治するにおよんで、四本松城の東安達を統治する城としての機能はなくなった。(しおのまつじょう)。”説明板から。

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