小手森城おでもりじょう
福島県二本松市針道
にほんまつし はりみち
”悲劇の小手森城、会津攻めを図っていた伊達政宗は、まず小手森城を総攻撃した(天正13年)、政宗は、兵と共に城にたてこもった農民の老若男女を合せ、8百余名のすべてを斬り殺した、織田信長の比叡山焼き討ちにも比すべきものであった。この戦いで小手森城を与えられた石川弾正は天正16年伊達勢に抵抗し小手森城に兵をあげた、政宗は優勢な兵をもって背臣への総攻撃をかけた、戦火はまだおさまらぬわずか三年後小手森城は再び5百余名が討死するという悲劇に見舞われた。”説明板から。
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