旭城 福岡県豊前市千束 ぶぜんしちづか 20090808

豊前市の旭城です。”明治2年塔田原に館の建設を始め翌3年10月に完成し、ここに移り旭城と名付けた、明治四年の廃藩置県により、わずか1年程の千束藩の館であった。千束八幡神社の敷地とその周辺が城跡です。江戸時代には豊前市と新吉冨村の一部は新田藩と呼ばれる小倉藩小笠原氏の支藩でありました。藩主の居館は、領内になく小倉城下の篠崎にありましたので、篠崎藩とも呼ばれていました。1866年小倉藩と長州藩との戦いで、小倉城、篠崎城ともに焼け落ちたため、当主の小笠原貞正は、小倉藩主小笠原豊千代丸とともに田川郡香春に逃れました。その後貞正は領内の当郡に来て光林寺に入り、明治二年、搭田原と呼ばれていたこの地に居館を構えることにしました。ここはかって多くの古墳があり、その古墳の石を使って石垣を築き、明治3年に完成して旭城と名付けられました。しかし時代は明治の激動の時を迎え、1871年の廃藩置県さらに廃城令が出される中、築城間もない旭城はその使命を終えます。短命であったこと。そして全国で最後に築かれた城という意味で歴史に名を残した城でもあります。”説明板から。現在は千束八幡神社(ちずか)。

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