三原城 広島県三原市館町1丁目 19990816

三原市の三原城です。日本一の規模を持つこの天守台は広島城の天守閣なら6つも入るという広さを持つ。三原城が造られた1567年より約10年後に信長によって安土城が造られ、初めて天守台に天守閣が聳えるようになり、以後全国に流行しました。この裾を引いた扇の勾配の美しい姿は群を抜きます。しかも余人は真似るべきではないと言われた「アブリ積み」という特殊の工法は、古式の石積形式を四百年経た今日まで立派に伝えております。小早川隆景は、兄の吉川元春とともに、甥の毛利輝元を助けて中国統一を完成させて瀬戸内海の水軍を掌握していた。隆景は、天正年間毛利氏の広島築城と相前後して、沼田川口の三原の小島をつないで城郭を築きここに移った。三原城は海に向かって船入りを開き、城郭兼軍港としての機能をそなえた名城で、満潮時には、あたかも海に浮かんだように見えたので「浮城」と、呼ばれている。小早川氏の移封後も、福島氏・浅野氏の支城になっていたが、国鉄山陽本線が本丸を貫き、今は天守台とそれをめぐる濠、及び五番櫓と船入り跡が残るのみである。”説明板から。

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