山名城やまなじょう
群馬県高崎市山名町
”源義家の孫新田義重の子義範は、この城に拠つて山名氏と称し、以後八代山名城を護つたという。この城は築城法からみて弓矢だけの時代でなく鉄砲が使用された時代の普請であることがわかるそうである。南北朝時代信濃南朝方の関東での橋頭堡として寺尾上城、中城と一連の名称で寺尾下城とか前城と呼ばれている。この城は戦国時代になってから木部城の要害城として改築されているので進歩した築城法に成っている。”説明板から。
上信電鉄山名駅の西側の山
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