尻高城しったか

群馬県吾妻郡高山村尻高

”尻高城は古屋の要害城と並木の里城からなっている、築城は応永八年白井主城伊玄入道三男藤原重儀によって築かれた、重儀は尻高左馬頭と号し、威勢さかんであった、永禄2年三河守重治の時武田信玄によって子の右京亮景家と共に戦死した、景家の子義隆は上杉に属し天正八年割腹し天正九年尻高城主三河守は滅亡した。”説明板から。国道145号線日本ロマンチック街道の戸室信号から北約2km。

尻高城

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