小川城
群馬県利根郡みなかみ町月夜野
つきよのまち
”足利時代、この地は小川郷として呉胡桃郷と共に村落が開け奥利根ひいては裏日本を?す戦略上の拠点として重要なところであった。北上州の雄沼田荘田城主沼田景久が西の備えとしてここに築城したのは1492年で箕輪城に先立つこと34年、京に在っては足利幕府の勢力も衰え各地に土一揆等の蜂起を見、世情は飢えに苦しんでいた。沼田景久はここに二男の次郎景秋を城主とし、のち二代目として1502年小川三郎景祐とするが、乱行や沼田本城への討ち入り等狼藉の果て落命した。三代秀泰は勇将にして沼田七騎の一人として名を馳せる。1520年頃客分として赤松捨五郎が来てその才能を認められて名跡となり、小川可遊斉と名乗る。可遊斉は北条軍と善戦するが城は焼かれ多数の戦死者を出し高地なれば水、糧の補給困難にて越後に敗走する。小川城には城代として小川氏門葉のひとり北能登守が居り真田真幸の配下として在城した、沼田真田氏の5代城主となった幼名兵吉は1638年より18年間真田伊賀守信澄となり5代城主を継ぐまで3の丸の陣屋に移住した。その後は廃城となる。”説明板から。
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