岩櫃山城

群馬県吾妻郡東吾妻町原町
あがつまぐん

”(いわびつじょう)吾妻八景を代表する岩櫃山標高802mの中腹東面にあるこの城は年代は定かでないが鎌倉初期の頃吾妻太郎助亮により築城されたといわれる。後に甲斐の岩殿城、駿河の九能城、と並び武田領内の三名城と称されました。その後斉藤氏が支配し、1536年信玄は上州侵略のため、重臣真田幸隆に岩櫃城攻略を命じ落城しています。その後は真田家が代々続き幸村も少年時代をこの城で過ごしたといいます。1590年北条氏の滅亡により信幸は初代沼田城主となり、岩櫃城は沼田の支城として重臣出浦対馬守を城代としました。1615年に廃城になっています。”説明板から。

山腹に城があるのが不思議、裏道は思ったほど急でなかった、国道145号線郷原信号の北側に岩堰山があり城跡は東側で吾妻線より。

岩櫃山城

岩櫃山城

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