後閑城ごかんじょう

群馬県安中市下後閑

”後閑城は、十五世紀半ば信州の依田忠政が築いたと伝えられている。上後閑の長源寺にある1470年の依田信濃入道寄進状もそれを裏付けている。この城は、後閑川と九十九川の合流地点に突き出した、南北に続く丘陵の末端部分に築かれた山城。この山城は、四ヶ所の堀切で断たれ、南端の最も高い部分に「本丸」がある信州の依田忠政により築城。城主は北条政時、後に姓を後閑とした新田景純、信純、真純とかわり、1382)織田の松井田城代津田小平次によって攻撃され廃城になる。説明板から。

後閑城

後閑城

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