檜杓山城ひしゃくやまじょう

群馬県桐生市梅田町1丁目

”この城は南北朝の始め桐生国綱が三年の月日をかけて築いたものといわれ、碑のある所が本丸の跡で、うしろに二の丸、三の丸があり、東に桐生川、南に渡良瀬川をめぐらし西南の丸山と東南の浅間山に砦をかまえ、その間に新川を掘って要害堀とし、東西の山地には物見山その他の小さな砦を備えて万全の構えを示し、桐生実城と称された城主 桐生氏は助綱の頃まで繁栄したが天正元年 助綱の子親綱のときに築城以来二百二十年で金山城主由良成繁に滅ぼされた。由良氏は二代目国繁のときに小田原の北条氏に味方して豊臣氏に敗れ、わずか十八年で常陸国牛久に移され、この城は廃城となった"石碑から。とにかく石碑の文字が読み取りづらい、県道66号線梅田1信号からそのまま北上しバス停城山入口の西側361mの城山。

檜杓山城

檜杓山城

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