高藤山城
千葉県長生郡睦沢町岩井
”1126年平常家が上総権介に任じられて常明、常隆、広常と四代60余年、上上総の棟梁として勢威を振い広常の代が最強であった。築城の年月は不詳、古城跡は南西の妙勝寺は城の正門である。1180年源頼朝伊豆に挙兵の折、和田義盛を再度、高藤城に遣わし援軍を請い、広常は長南等の二万余を率い隅田川原で佐殿の幕下となり、富士川の戦い、佐竹氏、木曾氏の追討と数々の武功に重臣としての重きをなしたが豪まい、傲慢の振る舞いあり広常の巨大な戦力をおそれ1183年鎌倉の営中で梶原景時に諜殺された悲運の武将であった。”高藤古城址説明板から。