横手城

秋田県横手市城山町

”朝倉城は横手城とも、また後代に阿櫻城とも云い、室町時代の後期、豪族小野寺氏がはじめてこの地に築城したのであります。城主小野寺遠江守義道は関が原の戦後、徳川氏に石田方とみられ1601年所領を没収、石見国に配流されたのであります。翌七年佐竹氏が水戸から秋田に転封されて入部した時、城を築き、替え城代に伊達氏を後に須田氏、次いで戸村氏が、代々城代を勤めて二の丸におったのであります。秋田久保田城の支城として県南の中心的守堡としての要衝の役割が大きかったのであります。幕末戊辰の役には勤皇秋田藩は佐幕派の奥羽諸藩の軍が侵入し明治元年仙台庄内の軍勢が朝倉城に迫り、防戦したのでありましたが、遂に利なく寄せ手の砲火によって城は炎上、名城と言われた朝倉城は全く灰燼に帰し落城したのであります。”説明板から。

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