星崎城 ほしざきじょう 愛知県名古屋市南区本星崎町本城 20020814
南区本星崎町の星崎城の築城年代はわかっていません。戦国時代末期には、織田氏に仕えた岡田重善、重孝が城主となり、天正16年(1588年)に廃城となりました。城は、10mほどの台地先端にあり、本丸、二の丸、侍屋敷、大手門などを備えた本格的な城館でした。戦国時代になると岡田直教の城となり、長男の直孝は織田信雄の家老として仕えていましたが、信雄と秀吉仲が悪くなると秀吉の計略を受けた信雄によって直孝は殺害されます。その後、直孝の家臣である山口重勝(天文16年、1547年、山口重俊の子として生まれる。織田信雄の家臣として仕え、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも参加した。その後は豊臣秀吉の家臣として仕えた。)が城主となったが、重勝の娘が秀吉の甥である秀次の側室となっていたため、文禄4年(1595年)に秀次が秀吉によって自刃に追い込まれた後に重勝も切腹を命じられます。
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